2018年1月19日 東海道ウォーキング_1
はじめて旧東海道を歩いてみました。
ヤマレコの詳細データは上の「山行記録のページへ」から
時間4時間30分 25㎞
お勧め度(五段階)
池鯉鮒松並木: 桶狭間古戦場跡: 有松街並み:
来迎寺小学校運動場の裏にある「さむらい塚」へ(東海道北側50mほど)
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「来迎寺の一里塚」は南北に一対の塚が残っている。
北側の塚は建物で少し見ずらいのが残念です。
「一里塚」:街道の両側に1里ごろに築かれた塚。織田信長,豊臣秀吉の頃から,36町を1里として1里ごとに5間四方の塚が築かれ始めた。全国的規模で構築されるのは,1604年(慶長9)徳川家康が秀忠に命じて,江戸日本橋を起点として主要街道に築かせてからである。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
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「知立の松並木」
松並木のいたるところにモニュメント・案内板が設置されています。
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国道一号線と名鉄踏切を越えると「山町祭蔵」の看板がありました。
「山町の山車蔵」
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「池鯉鮒銘菓」の看板
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この先に古い料亭「岐阜屋」があります
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本町の「山車蔵」
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(愛知県公式観光ガイドより)
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正面「了運治」と左隅の建物は「元祖あんまきの小松屋」です。
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元祖あんまきの小松屋」
あんまき、買おうか迷いましたが、腹の出っ張りを見て止めました。
景行天皇は日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。
「多宝塔」
「知立神社本殿」
毎年初詣に来ています。
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「総持寺」
「知立の地名」(ちりゅう)
鎌倉時代は「智鯉鮒」と書かれ、江戸時代になると「池鯉鮒」となっとそうです。
「池の鯉と鮒」と書き、鯉や鮒が多かったのか、またはとても美味しかったのか
「一里山一里塚」
知立方面から歩いてくると、ちょうど影になり見過ごしそうです。
写真右は水素ステーションのあるコンビニです。
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国道一号線をしばらく歩くと、再び東海道へ
「洞隣寺」
「めったいくやしーの墓」:容貌は悪いが、気立てがよく働きものの娘の墓。
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「芋川」
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中州より尾張側が板橋で三河側は土橋(橋面を土で慣らした橋)と書かれています。
「今川義元の墓」
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「境橋欄干の案内板」
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境橋を越えると国道一号線下の道を通り一号線の左側歩道(南側)を歩きます。
阿野一里塚の大きな看板が目に入ります。
「阿野の一里塚」・・ここも左右一対あります。
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「桶狭間古戦場」・・・2万5千の今川勢に対し、勝利した織田軍は3千程だったと言われている。
石碑配置図(拡大できます)
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「有松の街並み」
街並みをスケッチしている人もいました。
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「平部町常夜灯」やっと鳴海宿に入りました
本日の飲み会会場